映像の力
ライブは、設立時から映像制作だけでなく、マルチメディアの仕事もずっとしてきています。今思うと、その姿勢は正解で、もし今、マルチメディア関連の仕事がまったくなかったとしたら、会社の経営自体が、かなり綱渡りになっていたと思います。まあ、やれないということはないと思いますが、本当に運転資金は綱渡り状態になるでしょうね。他の映像制作だけを手がけるCGプロダクションさんはどうしているのでしょうか?
CGの制作単価は、下降の一途をだどり、チャレンジングな仕事も減りつつあります。”ハリウッド映画”という市場に支えられ、そこにお金と優秀な人材が集まるアメリカとは、逆の現象が起きてきる感じがしてなりません。日本では、ゲーム分野が一番お金と人が集まる分野で、そのゲームムービーに関しては、割とよい仕事があるようですが、それも限られたものです。また、本来最先端の映像制作を引っ張っていくはずのコマーシャルに関しても、予算はかなり削られる傾向にあり、アート的な仕掛けの大きいCMは作られなくなる傾向にありますね。
今作られているほとんどの映像は、その目的からなんでしょうけど、1から10まで懇切丁寧に全てを言い切ってしまうように作られている。マニュアル的な映像が氾濫している。本来映像とは、それだけで強い主張をもてる視覚的な力があると思うんです。普段マニュアル的な映像を作ることが多いので、そんな類のCGも作ってみたくなります。
それは、演出的に言えば、視覚的、知的な遊びに見る人が参加できる余地を残すということだと思うんですね。
先日、NHKで、スピルバーグの対談番組を見ました。
司会者の「あなたの演出のコツを教えてください。」という問いに対して彼が言ったのは、「僕は、人が考えているカットが好きだ。よく使う。なぜかって、その映像を見て、観客が、何を考えているだろうって、考えてくれるじゃないか!」 ...なるほどな、と思いました。自分の想像力の足りない部分を見ている人たちが自分自身で補ってくれるという訳です。
スピルバーグの映画ではないですが、”コンタクト”でジョディーフォスターの瞳から、1カットでトラックバックする有名なカットがあります。あれを見て感動しているのは、何もその映像そのものに対してではなく、その裏側にある主人公の思いに感動しているのであり、そしてそれは、自分の頭の中で作り出した”思い”に他ならない。
美しい花は何も語らない。
そこに、あるだけで人の心をふるわせる。
そんな映像が作れたら本望です。
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