1997/3/1 〜 4/28

 

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3月〜

昨年から取り組んできた、アップルの次期OSのグラフィック基盤たるQuickDrawGX。
そのテクノロジーの機能と将来性にほれ込み、グラフィックアプリケーションを開発してきました。

昨年の5月頃、そのアプリケーションのデモを千駄ケ谷にあるアップルコンピューターにて行いました。アプリケーションの名前は、”CellDraw”。ビットマップとドローデータをいっしょに扱えるもので、画像レイヤーが実装されていました。しかも、そのレイヤーが3Dソフトのように階層構造を持っているのです。今となっては、常識的なレイヤー機能ですが、その当時は、フォトショップにも搭載されていませんでした。

デモを行った相手は、アップルコンピュータージャパンの面々でしたが、大変驚きを持って迎えられ、「すぐに使いたいから置いていって欲しい。」とまで、言われました。

そして、その後から現在まで、CG制作から手を引き、プログラム開発だけに打ち込んできたのです。自宅近くに、ソフト開発のアパートを借り、没頭して作業に取り組みました。


マックワールドに出展した時のパンフレット

その甲斐あって、どうにかフル機能を持ったアルファバージョンが完成。


今年2月のマックワールドに参考出品されました。実際に会場に立ち、いろいろな人に説明をしました。沢山の反応がありましたが、日経Macの、編集者の方には感激され、「これが完成したらぜひ教えて欲しい」と、言われました。

一番ビックリしたのは、QuickTimeのチーフアーキテクト、ピーターハーディさんが、僕のブースに立ち寄ってくれたことです。彼は、QuickTime次期バージョンの開発の追い込み中で、そのバージョンからレイヤーの階層構造が組み込まれることを教えてくれました。その機能と、僕が作ったアプリケーションの類異性に興味をもったのでしょう。「開発に協力するから、なんでも聞いてくれ!」なんて、言われたんです。

もっと、すごかったのは、彼が、僕のブースを去った後です。
沢山の外人が押しかけてきました。...つまり、「ハーディが興味を持ったものは、なんなんだ?」ってことです。彼の動向は、すごい影響力をもっているんですね。あやしいアメリカのおじさんに、「これをアメリカで売るときは、僕が売ってあげるよ。」とか、「ハーディは、QuickTimeについて何か言ってなかった?」なんてことを聞かれました。

もう、僕は天にも上る気持ちでした。
だって、今まで、天上の人だったピーターさんから声をかけられ、認められたんですからね。しかも、周りの反応もよかったし...。

しかし、その後とんでもない事態が待っていました。
”アップル経営危機” → ”ラプソディ開発中止” → ”QuickDraw GX開発中止” です。アップルの経営は、落ちるところまで落ちていたんですね。こんなショッキングな事件はありませんでした。結局、ソフトウェア-は完成の日の目を見ることはなかったのです。

一方、この頃僕が在籍していた映社も、経営危機に陥っていました。
借金も抱えていて、”会社を一時解散して、そのあたりを清算してから立ち上げ直そう”という結論に達したのです。

解散が決まった後、その新会社において、「社長としてやって欲しい」と言われたこともありましたが、それもなぜか途中でキャンセル。そして、僕は、映社をやめることを決意したのです。このあたりのゴタゴタは、思い出すのでいやな位で、魑魅魍魎、暗躍跋扈、といったところでしょうか?とても、その内幕をここに書くことはできません。

そんな中、映社・日高氏が、会社を立ち上げる僕について来てくれたのです。
幕張の飲み屋で、「頑張ってやっていこう!」と、握手をしたのをよく覚えています。

... ここからライブは始まったのです。

ひとつ、忘れてならないのは、妻の助言がとても助かったこと。経理としても協力をしてもらい、会社設立のいろいろな書類も彼女に作ってもらっています。ほんと、影の功労者ですね。

上坂浩光
日高 肇
上坂みえ

この3名でのスタートになりました。

 

 
4月1日(火)

今日は、菁映社での最後の仕事となる”襟裳岬・風の館展示館”での、仕事。気象パスポートの発行システムの現地作業です。


北海道・襟裳岬「風の館」展示館

朝一番の飛行機で、吉田くんと、北海道・帯広空港へ。この仕事、大工房さんからの依頼で、そこの八木さん、下山田くんともいっしょでした。

帯広からレンタカーを借りて、一路襟裳を目指すのですが、その道の真っ直ぐな事といったら...。100kmちょっとの距離があるのですが、道は、ほとんど一本道。途中で曲がるのは、2、3ヶ所位です。

襟裳は、風が強いことで有名。
この日も、息が止まる位つよい風が吹いていました。屋外に出ている人は誰もいません。そんな中、まだ工事中で、暖房も入っていない展示館のフロア-で作業開始です。かなり寒かった。

夕方には、どうにか動くところまで漕ぎ着け、夜は、襟裳の飲み屋で一杯やりました。
さすが、漁港近くの地元の飲み屋だけあって、本当に食材がよかった。何を食べてもおいしかったです。やはり、北海道にいったら、観光客向けのところではなく、地元の人がいくような場所へ行くべきですね。今晩は、襟裳で一泊し、明日東京へ帰ります。

 

8:00
羽田空港で待ち合わせ
4月3日(木)〜 <設立準備>
会社名は、”アークライト”、”フラクタル”、”ライブピクチャー(あれ?どっかで聞いたぞ?)”という候補の中から、”ライブ OX”に決定。このOXに何か入れた名前にしようということになり、最後は、僕が独断で、じゃあ、ただの”ライブ”にしようと決めました。ライブという名前は、”生き生きしているCG”とか”元気がある”とかのイメージの他に、”リアルタイムに再現されるCG”という意味が込められています。そんな制作活動を行っていきたいという願いで、この名前にしました。

会社のマークも、考えました。
基本は、”ライブな情景を切り取るカメラレンズ”です。上の図でいうと、左上が、イメージの原点。そして、そのハイライトの形状が、”!”に見えるように整理したのがライブマークになりました。

資本金は、預貯金がほとんどゼロになる位、目一杯出資しました。この出資額を決める時は、かなり勇気が要りました。だって、2ヶ月位の生活費を残して、有り金全部出してしまったんですから。さて、どうなることやら...。家族が「自分たちはどうにかなるからやっていいよ。」って言ってくれた時、責任の重さを強く感じました。

<類似商号のチェック>
登記所に行き、会社登記簿の閲覧を申し出るんですね。そんな経験も初めてでした。幸いなことに、同じ会社名もなく、希望どおりの会社名を使えることが確認できました。

<定款の作成>
次に定款を作ります。会社の事業目的、所在地、出資者など、会社の大枠を決めるんですね。で、これを公証人役場にもっていき、正式な書類として証明してもらいます。この作業が大変でした。通常は、税理士さんなどに頼んで作ってもらうことが多いそうなんですが、これを全部自分たちでやったため、何度も作り直しになりました。2、3回は作り変えてます。

 
左:自宅で登記簿に割り印を押しているところ 右:終わってホッ...

これら会社設立の事務手続きと平行して、お客さんへの挨拶まわりなどをしていました。とてもうれしいことに、この時点で、すでに2つの大きな仕事を受注していました。ベックさんのプレイステーション用ゲーム「ゼータガンダム」。それと、ビクターさんのCD-ROM「プリントタウン」です。出来たばかりの新会社にとって、かなり大きなまとまった額の仕事が決まり、ありがたいやらうれしいやら。「これで、半年は大丈夫だ!」なんて、大きな気持ちになっていました。

ところが、このあたりから、腎臓結石になってしまい、痛みと戦いながらの会社設立となりました。実は、4年ほど前にも、腎臓結石で入院しており、体質なんですね。うちの父親も、なってましたから、遺伝なのでしょう。

 

 

4g4月21日(月)

この日は、朝から、油汗がでるほど、腰が痛く(腎臓結石の為)、痛み止めを貰って、申請に行きました。

<登記申請>
出資金を払い込み、登記所に、会社の登記申請を行いました。書類が受理されれば、会社設立となります。「受理までには、1週間ほどかかる。」と本で読んでいましたが、結局その場ですぐに受理され、会社設立となりました。田舎だからかな?

 

11:00
登記所で申請
4月22日(火)

現在、メインで使っているCGソフトは、パーソナルリンクスです。
このソフトは、日本製のもので、あのリンクスが開発したもの。そもそもこんな説明をしなくても、誰もが知っていた時代がありました。最近は、いろいろなCGソフトがかなり安く手に入るようになり、パーソナルリンクスの名も、通らなくなってきましたね。

ライブでも、今後、このパーソナルリンクスを使いつづけることは無理だと判断し、次期主力ソフトを探しています。その一環として、今日は、渋谷・フォトロンさんに、3DStudioMAXのデモセミナーを受けに行きました。外注として、協力を願っている、児玉、吉田の両氏も同行。

見に行った結果は、あまり芳しいものではなかった。
レンダリングの質もよくなかったし、やたら重そうでした。...ということで、MAXの採用は見送りとなりました。

 

13:00
フォトロンさんでMAXのセミナー
4月25日(金)

夜になると、腎臓結石の痛みはさらに増し、何度も吐いてしまいました。
腎臓結石って、痛いんですよ。自分の意志とは関係なく、
体がびくびく動いてしまう位。
結局次の日に朝まで、一睡も出来ませんでした。

 

 
4月26日(土)

そして、結局、朝、救急車の世話になることに。入院するハメに。
なんと幸先が悪いスタートでしょう。会社が出来たばかりだというのに...。

病院のベッドでいろいろ考えました。もう心配事だらけです。特に寝ていて時間が有り余っていますから、余計に心配してしまうんですね。

実はちょうどその日、事務所を探しにいろいろ見にいく予定でした。
しかし、こんな状態では行ける筈もなく、日高くんと、うちのみえに行ってもらうことに。僕が、その物件を見られるように、日高くんにビデオ撮影を依頼。ベットの上で、見ることにしました。

事務所も、なかなかイメージどおりのものがないですね。値段も高いですし。
実は、これ以前に自分たちで探した物件があったのです。雰囲気もよく、そこに入りたかったのですが、設立したての会社に貸してはくれませんでした。ちなみに、そこは、藤和不動産のマンション。「なんて見る目のない会社だ!」と思いましたが、仕方ありません。金や、信頼のない者に、世間は冷たいです。今まで、いかに会社に守られてきたかが、身にしみました。僕自身を信用してくれる人なんて、誰もいなかったのです...。

 

 
4月28日(月)

この日、ライブのメンバーが一人増えました。 吉田くんです。
心強い仲間が加わりました。これで、4名です。人数が足りないと思っていましたので、これでなんでも出来そうな気がします。

昼、皆で食事しながら、会社のことについて話し合いました。
菁映社の社長、今西さんも一緒だったのですが、「なんだか楽しそうだから俺も仲間に入れてくれ。」なんて、訳のわからないことを言ってました。いろいろありましたが、こんなに円満に会社を辞められるのは、幸せですね。しかも、機材の譲渡。その資金の融資。など、大変お世話になっています。本当にありがとうございます。

昼食の後、午後、ベックさんでゼータガンダムの打ち合わせ。
人数も増えているので、打ち合わせをしていても安心できました。

その後、秋葉原で、児玉、吉田、両氏と待ち合わせ。
実は、吉田くんは、児玉くんと、フリーで活動をしようと約束していたのです。それが進路変更になり、そのことについて、3人でいろいろ話しました。児玉くんにもこれからいろいろ協力してもらわなければならないので、変な悔恨を残したくありません。飲みながらゆっくり話し合いました。おかげで、何の問題もなく、うまく気持ちが整理できたと思います。

さあ、最終コーナーを回って、いよいよ、会社スタートです!

 

15:00
ベックさんで打ち合わせ