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 1week  2004/1/1 〜 

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あけましておめでとうございます。
このページ、しばらくぶりの更新です。皆様ご無沙汰しておりました。

ほぼ一年近くのブランクがありましたが、その間にも会社にはいろいろなことが起き、通り過ぎて行きました。

昨年中ごろに、会社のスタートからいっしょに頑張ってきたスタッフがやめ、また、どういうわけか時期を前後して、何人かがやめて行きました。新人も何人か入ったのですが、まだ経験不足ということもあり、どうしても全ての仕事を自分で手をつけざるを得なくなり、かなり四苦八苦しておりました。とてもこの日誌を更新する余裕などなかったのです。なかなか実際の時間に自分の時間が追いつかないんですよ。常に一歩前を時間が逃げていく感じで、暮れの最後の仕事が終わった時にどうにか辻褄があったといったところです。

新人が入り、成長していくという過程の中でこういう流れは仕方の無いことなのかもしれませんね。彼らがやめていったばかりの時は、そんなことをここに書く心境ではありませんでしたが、今は、落ち着いて冷静に考えることが出来ます。
どんな会社でも同じような悩みを抱えているのだと思います。

彼らがやめる前の自分の心境は、「つまらない」毎日」でした。自分で手を動かして作ることももちろんしていましたが、彼らに任せた仕事に関しては、プロデューサーやディレクターの役割に徹していることが多かったのです。
”自分でやればこう作る”という気持ちを押さえ、スタッフの意思をなるべく尊重し、彼らの個性をなるべく出してあげたいというスタンスでした。
それがやはりつまらないんですね。今考えれば間違った態度だったのかもしません。もっともっとぶつかり合って、やりあう必要があったのだと思います。いつの間にかこちらの理想を引っ込めて辻褄を合わせていた訳ですからね。
確かに、仕事はスムーズに流れるし、体的にも楽なんですが、もう一歩進んだ表現までつっこむことが出来ない...そんな不満を持っていたのです。

しかし、彼らがやめた後は、必然的に自分で作業することが多くなりました。
毎日帰る時間は遅くなるし、土日もほとんど出社、という状況になりましたが、作っている時は、すごく充実していて面白い。今まであきらめていたことが試せるし、実現できるから。
出来なかったことが出来るようになっていくことによって、新しい可能性がみえてくる。だからこそ、今までこの仕事を続けることが出来た、と、そんな当たり前だったことを思い出しました。以前にも書いたことがありますが、見えていることは人に頼めるけど、見えてないことは自分でしてみるしかないんですね。そして、見えていないことが、次のレベルに登ることなのだから、大きな間違いを犯していた訳です。

そんな風に書くと、正解を見つけ出せてよかった...で、終わりそうですが、実際はそうではありません。
だって、ものすごい量のオペレーションをこなし、全ての対外的な打ち合わせを行い、新しい仕事の問い合わせに応じつつ、スタッフがうまく仕事をこなしているかを監視、サポート、チェックし、納品に行き、制作費の交渉をして、請求書を書き、なおかつ新人の入社応募に答え、次の仕事を心配しながら、ボーナスの支給額を考え、時にはプログラムを書きつつ、会社の運営をやることになる訳ですから、そりゃー厳しい毎日でした。

”ここで妥協したらおしまい”という気持ちと、”ここで押さえとかないと終わらない”という相反する気持ちの葛藤。プロデューサーとディレクターが別れている理由も一人の人間の中でそんな葛藤をさせない為だと思いますから、これ、かなり苦しいです。
結局、悩みは、常に相反する立場を全て自分でこなさなければならないところにあるわけです。経営者とクリエーターというのはまったく反対方向のベクトルを持っているわけで、”2001年宇宙の旅”のHALが2つの命令の狭間で、暴走したように、僕だって、頭がおかしくなりそうでした。いつになったら、ホッと一息つける日がくるのか?まさに、闇の中をヘッドライトなしで全速力で突っ走る暴走車です。もう、分刻みで次の仕事、次の仕事です。

そんな作業の連続の中で、一条の光が差し始めたのは12月に入ってからでしょうか?製作体制をどうすればいいのか?がハッキリと見えてきました。

自分にしか出来ないことと、他の人にしか出来ないことがあるということ。

これ、当たり前のことのように思うかもしれませんが、それをキチンと認識することってなかなか出来ていないと思います。

自分にしか出来ないことで、こちらが、好々爺の心境になる必要はないんですね。それは堂々と、”俺がやるっ!”で、いいんだってことです。道徳教育のおかげで、どんなシチュエーションでも、”出すぎたまねは良くない”とか、”他人を蹴落としてはいけない”という観念が幅を利かせるので、それが、邪魔をする。それを変に押さえてしまうから面白くなくなる。

翻って、”自分にはとてもできないこと”、”自分の想像以上にしてのけてくれたこと”は、もう絶対その人にやってもらった方がいい。
このことです。

すごく単純ですが、それを実践すること。そして、一番大事なのは、それによってお互いの心にわだかまりを作らないことです。「お前は、ダメだ!」「なんて俺はダメな能力なしなんだ!」「なんで、あいつは失敗ばかりして、俺の脚を引っ張ってばかりいるんだ!」なんて、思わないようにしないといけない。

つまり、前々から僕が言い続けていた、”分業制”が、現状を解決する方法だったってことです。ライブのトップページにも、”弊社は分業制を目指しています”なんて書いてありますが、まさにそれです。おそらく、多くのCGプロダクションが、分業制のメリットには気づいていて、経営者に近くなればなるほど、その実践を望んでいるのだと思います。しかし、難しいのは、そのメンタルな部分。繰り返しになってしまいますが、協業をいかにスムーズに心理的問題をおこさずに実行するか?なんですね。特に、クリエーターになりたくて会社に入った人は、全部自分でやってみたいと思うのが、普通だと思うんです。そこを納得させなければならない。

出来ないことをやる。チャレンジしていく。
これは正しい姿勢です。これが無くては進歩はないでしょう。しかし、オンタイムで進んでいくスケジュールの中では、これは無謀なことです。その結果が、徹夜や休日出勤。もっとひどくなると、仕事が2本も3本も重なってしまうということが起こります。その結果は、人間らしい生活の欠如。毎日の時間を過ごすことに喜びを感じることが出来なくなってしまう。ただただ、スケジュールに終われ、時間を過ごすのみです。
これで、ふと気づくと「10年も過ぎていた...」なんて、悲劇です。CGを始めて30歳くらいになると、あせるハズです。「このまま突っ走っていていいものだろうか?」と。

そして、会社をやめていく。CGさえもやめてしまうかもしれない。
しかも、やめた後、またどこかで同じ問題に突き当たるはずです。問題の先送り。
でも、ひとつ問題に突き当たらない方法もあるかもしれない。それは、自分だけで、自分の為だけに働くことです。そうすれば、時間がなかろうが、どんな理不尽なことがあっても、耐えられるハズ。でも...そんなことでいいでしょうか?そんなことで、死ぬとき満足できるか?ダメでしょう。そんなんじゃ。

人は、基本的に一人では生きられない。人は、人の役にたったときに一番喜びを感じるのだと思います。そもそもクリエーターがやっているのは、人に見てもらうためでしょ?だったら、その方向性は間違っている。今回、ある程度の方向性が見えてきたのも、人の中で、泥まみれになりながら、いっしょに働いてきたから。自分を理解するためには、なるべく多くの人と接し、なるべく深い付き合いをしなければならい。人とのぶつかり合いから逃げてはいけないんですよ。

 

 

徹底的な見極めを行い、各自に十分な担当分野を見つけ、それを分業していく。同じことをやり続けることになるので、スキルはあがるはずです。時間的余裕も出来てくる。その時間をクオリティアップにあてればいい。また、新しい表現技術や他の分野の勉強に充てればいいのです。

ライブは今年、これを実践したい。そう思っています。

2004年1月元旦

 

 

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