Chapter1 マイコン時代(1976〜1981年頃) page4
 
さて、その結果できたプログラムではじめて仕事を したのが富士フィルムのVPでした。ワイヤーフレームで描かれたカメラやフィルムが画面手前から飛び込んでいって中央で光ると実物に変わるというものです。

アニメーションの撮影台にモニターを上にしてのせ、そのまま画面を撮影しました。画面の解像度も悪かったせいでシャドーマスクも目立たずきれいにとれました。まともに考えると1億円もするフィルムレコーダーを使わなければならなかったわけで、妥協案ですが、結果OKでした。

CGと同じ位置で実物に乗り変わるようにするためには、一度撮影したCGのフィルムをアニメーショ ンカメラに入れ、カメラ側に光源を入れて投影機のように使い、実物のカメラの位置をあわせて撮影します。(業界用語ではコマ出しといいます。)これで、飛び込んだワイヤーフレームのCGにぴったりあう実物の画像が得られます。
   

これとは別に、背景の星(画面センターから手前に3次元的に星が飛んで来るやつ)を作成しました。 画面の解像度が足りなかったので、ゆっくり星のような面積のないものを動かすとがたついてしまいます。 画面の真ん中から点が手前に飛んで来るのと、面積がある程度ある四角形が飛んで来るのとでは、感じられるスムーズさがまったく違います。

人間は、同じ画面を見ていても、実際にはその一部分を拡大してみている瞬間があると思うんです。常にイメージを拡大、縮小しながら認識しているのではないでしょうか?(これって、人間の生理学の分野になるんですかね?)
このがたつきをなくすためには、アンチエイリアスを行い、1ピクセル以下の表現ができるようにするか、画面の解像度自体を上げてしまうことです。この当時のパソコンの表示色数では、アンチエイリアス処理は不可能なので、プロッターを使うことにしました。(ペンを使って紙に設計図などを描くあれです。)アニメーションのタップを貼りつけ、一枚づつ描いていきます。描くというより点を打っていきます。リピートができるように動画を作り、これをリスフィルムに起こします。これで星の部分が透けていて、その他の部分は黒ベタの動画ができるわけです。これをアニメーションの撮影台を使い、透過光でクロスフィルターを付けて撮影し ます。すると、スムーズに光芒を付けた星が動くわけです。
 
当時の画像を再現しました。
 
ここからがまた大変で、今ならコンピューターにとり込ん で合成するだけですが、そんな事考えられませんので、オ プチカルの出番となります。フィルムのネガを編集し、指 示書を書き、上がりを祈るようにして待つのです。

星の光かた。バックグローの掛かりかた。心配の種はつきません。 これら素材のすべての合成処理がオプチカル処理を経て1週 間後位にできあがってきますが、まず一度でイメージどおりのものができたことはありません。大体2〜3回はやりな おします。 でも、締め切りや予算の関係でどうしても妥協しなければいけなくなります。
 
現在であれば、これらはAfter Effectsなどを使ってすべて自分一人で処理することができます。 よくいわれることに、「集団での作業のほうがいろいろな人とぶつかりあいながら作っていくからいいんじゃないか? ひとりよがりにならずにすむし。」というのがありますが、理屈にならない、言葉にならないことって重要で、人をねじ伏せられなければ意志が通らないシステムでは、絵を描くように映像を作るなんて事は夢のまた夢です。 (一般に、言葉で納得させられなければ思いどおりのことはできませんから。)

自分が納得するまで思う存分やり直しができるという利点は「試すことができる。」ということだと思います。 理屈ではなく感じたことを考えずに試せます。これがこうしたコンピューターの一人作業の良い点ではないでしょうか?試すことでよりいいものができるなら、良いものを判断できる目さえもっていれば、すばらしい作品を作ることができることになります。ただ、現実の制作現場は、時間に追われてやるもんですから、場合によってはいろいろな人の意見を聞いたほうがスムーズに事が運ぶかもしれません。CGを個人の制作活動としてやるか、仕事としてやるかによって見方は変わってくるのかもしれませんね。

制作手順はこんな感じだったわけですが、こうして文章にするといかにもはじめから手順がわかっていてやったように感じますね。実際は思考錯誤の連続でした。でも、作品を受けてからシステムを開発していたわけで、今からすると逆に面白い時代だったのかもしれません。仕事ではなく、研究開発結果を作っていたんですね... きっと。
(会社はもうかるどころの話ではなかったのでしょうね...。今西社長、ありがとうございました。)