Chapter2 ミニコン時代(1982〜1989年頃) page3
会社にLSI11一式が納入されてから、半年ほどを新システムの開発に注ぎ込みました。

RSX11MはマルチタスクOSです。タイムスライス、ラウンドロビン、タスクプライオリティなどの言葉を初めて耳にしました。複数のタスクが同一のCPUを時分割でスイッチングするわけですが、それがこんなにスムーズに行われるもんだとは知りませんでした。(タスクというのは、アプリケーションとほぼ同義語です。)
現在、WindowsNTはこれと同じようなことをやっていますが、MacOSはまだです (MacOS X以降で実現)。 そんな仕組みをこの時代に実現していたのですから、本当に進んでいたと思います。 (ちなみにWindowsNTは元DECのエンジニアが作ったと聞いています)


初めは単一のタスク(=プログラム)で3Dシステムを開発していましたが、そのうち1タスク64Kの壁にぶちあたりました(ミニコンであってもそんな壁があったなんて!驚きました)。そこで、シェアードメモリ(共有メモリー機構)を使い、複数のタスクで同じメモリーエリアを共有する方式に作り変えました。 タスク間通信を使い、メモリーをシェアして動作させるのです。


人間ってどうにかやりくりするもんなんですね。わずか主記憶512Kbの空間で、10個位のタスクと256Kb位のデータエリアを持ったシステムがどうにか動き出しました。タスクを分けたおかげで、 たとえ1つのタスクが落ちたとしても、データは安全です。別のファイルI/Oを担当するタスクを立ちあげ、共有メモリー空間にアタッチさせれば何事もなかったようにディスク上に保存することができました。データ領域にアクセスするには、面倒な手続きが必要でしたので、データエリア管理タスク(今考えるとデータベースサーバーですね。)に問いあわせることで、簡易にデータにアクセスすることができました。

データの形式は「ウィングドエッジ構造」にしました。詳しい説明はさけますが、ソリッドデータを持てる形式で、さまざまな形で3Dデータを容易にとり出すことができます。

自分でいうのもなんですが、結構このアーキテクチャーはよかったと思います。一度このシステムを「DECUS」 (DECのユーザー協議会)で発表してはどうかといわれたこともありますが、恥ずかしいし、何をしゃべっていいのかわからなかったのでやめました。 もともと絵を描いていた人間が、いきなりなぜこんな コンピューターの専門的なことができたのでしょうか?

1つは、ものすごい興味があったから、もう1つは自分を追いつめるのが得意だったからではないかと思っています。
コンピューターに関してはずぶの素人が、何千万もする投資を受けるなんてちょっとできません。もちろん 自分では「できる筈だ!」という確信はありましたよ。 でも、普通ならやらないでしょう。

一歩前に踏み出すことで、いつもの何倍かの力がでます。 もともと、なまけものですからその位のたがをはめないとだめなのかもしれません。今も会社を設立してがんばっていますが、これなんかその典型的な例ですね。