Chapter2 ミニコン時代(1982〜1989年頃) page4
サイラックの罠
こうして次のステップを踏み出したかのように見えたシステムも思わぬところに落し穴がありました。 フォートランのプログラムは 「SCORE」というAPIルーチンを通してアクセスしていましたが、これと「サイラック3」内部のROMが完成していなかったのです。 これが導入後に発覚しました。だから、謳い文句どおりの機能が実現されていなかったのです。
できてもいない機械を、さも完成したかのように売り込む。なんてきたない手口でしょう。
すべての機能が揃うまでに1年位かかったのではないでしょうか?しかも、最後までバグが残っていました。

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嘘ついてるのになんて涼しい顔してるんでしょうか?


MUTOHさんもこれには手をやいたらしく、一度スパイにいったこともあります。MUOTHさんからサイラックに問いあわせても肩すかしをくって返事がもらえなかったので、菁映社の名前で見学を申し込んでくれないかというのです。

いっしょにMUTOHの技術者の人も同行し、 ユーザーであること、ましてやMUTOHの人間であることも隠し、何も知らない人間としてサイラックにデモをしてもらいました。MUOTHさんの技術の方もいろいろ質問していましたが、よい返事ばかりでした。まさに夢のような...実際には動かないくせに。 「うそつけー!」と言ってやりたかったですよ。 結局いつまでたっても完成することはなかった。全機能の実装が終わってもバグがとれなかったのです。 そうこうしているうちにサイラックは次の機種を大々的に発表し、サピエンスの方は忘れさられていったのです。
 
 
菁映社/PADシステム
未完成だった機械でしたが、こっちは買ってしまったのでどうにか使えるようにしなければいけません。
結局、ワイヤーフレームのレ ンダラー部分をホストコンピューターで作り、高解像度のグラフィックバッファとしてサピエンスを使いました。 こうしてサピエンスとLSI11を使ったシステムは完成し、モデリングからアニメーションまでを実行できる環境が整いま した。この名前を「PADシステム」と呼びました。お気付きかもしれませんが、Sutherland氏の「スケッチパッド 」システムにあやかって付けたものです。

このシステムはその当時のCG機器展示会(ニコグラフの前身) で展示されました。武藤工業のブースでデモを行い、何社かの方が大変興味を持ってくれました。

ワークステーションの芽生え

の同じ会場に見かけはグラフィック端末と変わらないものでしたが、それ自体がコンピューターである機械が展示されていました。会場の主流を占めるグラフィック端末に混じって展示されていたそのメーカーの名前は、「シリコングラフィックス」です。
後にこのマシンが業界地図を塗りかえると思った人は何人いたでしょうか?
そう思う位にその当時はまだグラフィック端末が主流だったのです。 今思えば、グラフィック端末には自分としても限界を感じてはいました。端末とホストを結ぶ遅い接続速度。 完成していなかったりバグだらけのグラフィック端末のファームウェアーおよびアクセスライブラリ。機能追加を許さないアーキテクチャー。たしかに限界だったのです。